前会長連載エッセイ

2011年6月25日更新

一大転換の句(立教174年5月24日)

多くの人々の心つくし

既にご承知の如く、去る三月十一日に起きた世界最大級の大震災は、をや(親神様・教祖)のざねん(残念)、りいふく(ご立腹)の現れであります。前にも述べましたが、東北関東の被災地の方々に対する私達の精一杯の心づくしや救援活動に皆様方の心づくしについて、ここで改めて御礼申し上げたいと思います。誠に有難いことであります。
飾大の会長も現在三度目の震災地へのひのきしんに出動しております(五月二十三日夜帰会)。天理時報もまた一般のマスコミも現地の様子を連日詳しく報道しています。まさにわが国にとっても、一大転換期を迎えております。

何が「ざねん」の内容か

さて、このをやの「ざねん」「りいふく」は、何に対して「ざねん」であり、「りいふく」であるのか、これを今こそはっきりと正確に自覚し、その対策対応を実行していかねばならない事は言う迄もないことであるが、私の観るところ、この大切な自覚と行動がまだまだ本腰が入っていないように思います。
ある人の説くところによると、をやは人間お互いが救けあいをしていないから、このような鮮烈荷烈なお仕込みをされているのだといっています。
しかし、私はもっとつっこんでこの事を追求しなければならないと考えます。
世間の人々にたすけ合い≠ェ足りないとお道の人が言えば、どんな反応が返ってくるか。天理教さん、あんた達こそそれを率先して実行して下さい≠ニいう答えが返ってきます。そればかりか、そんな事をぬけぬけ発言する天理教の人々は、一体、何をしているのか、といった反論をするする人もいます。

問われる信仰の内容

ここで私の言いたいことは、そんな答えにもならない事を主張するのではなく、この度のをやのざねん∞りいふく≠ヘ、お道の信仰者に対する信仰心の内実をご指摘され、その信仰心をどのように深めていくか、どのように転換していくのか。というまことに厳しい問いかけをなされていると理解すべきであると思案しなければならないのではないかと考えます。
をやのこの厳しいお仕込みも、子供(人間)可愛い、それ故のお仕込みであることは言う迄もないことであり、もしもこのままのような信仰を続けていけば、将来が心配であるというをやの切実な親心が込められているのであります。
では、どんな信仰心を堅持していけばよいのか、この点について述べてみることにする。

人間の真実の親

親神様は、立教の三大いんねん、即ち、教祖魂のいんねん・屋敷のいんねん・旬刻限の理によって、天保九年十月二十六日に、この世のおもてに御現れ下さり、この道が始められ、最後(だめ)の一点たる人間の真実の親は、天理王命であることをお教え下されました。
この真実の親が、人間世界を創られ、人間の陽気ぐらしをする姿を見て共に楽しみたいとの元創まりの真実をお教え下さり、この道によってのみ、陽気ぐらしができることを教えられているのであります。この道は、陽気ぐらしが出来る唯一の道であります。
この真実を心に定め、腹をすえて誠にして通らなければならないのであります。ところが年限の経過とともに、この真実を誠にして通る通り方が、次第に薄れていき、知っている解ってといった頭の中の理解に終始し、誠にして通るという日常の生活や行動実践ができなくなってきつつあるのではないかという事であります。をや(親神様・教祖)を誠にして通ろうとしなくなってきているという点が、をやの「ざねん」「りいふく」であると指摘することができると思います。

気迫気概

そして、徹底してやり抜くという気迫気概が弱くなっているという点があります。
現在のような生ぬるい信仰では、将来が案じられるということであろうと思います。
をやの願いは、今こそ一筋心に徹し、積極的なにをいがけ、布教に励んでくれ、ということであります。
これは、私達よふぼくに求めておられるをやの切実な願いであります。一人ひとりがこれを我が事と受け止め、一人ひとりがこの真実の心をつくし切るということであります。
「おふでさき」第四号五十二に
しんぢつの心みさだめついたなら
いかなしゆこふもするとおもゑよ
と、仰せになっておられます。
をやは、この者はしんぢつやなあ≠ニ、見定めつけたなら、いかなしゆこうもするとおもゑよ≠ニ明言されているのであります。

通り切る心

私達人間は、誰しもひと時は熱心に、真実の精神をもって通るのでありますが、決して心を変えず、少なくとも三年は通り切ることが大切であります。変わらぬ精神を堅持する事であります。それは努力次第で可能であるという事です。
私達の先輩は、いかなる節(ふし)も障害も歯を食いしばり、やり抜かれた方々が大勢おられます。何事によらず、辛抱と努力によって通り切ることが大切であることは、言う迄もないことです。

覚悟を決めて通る

さあ、お互いに腹を決め、覚悟を定めて通ろうではありませんか。出来るかどうか、私達自身の心一つであることは申す迄もないことです。
最近、私の周辺で右のような姿を次々と見せられます。出来るか出来ないか、紙一重の差によって決まっていくようです。頭の切れがよいかどうかは問題外であり、どちらかと言えば、頓重な正直者が成功を治めて立派なよふぼくに成人されていくように思われます。
をやが待ちわびておられる人間になりたいものであります。
(立教174年5月24日)


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