基本教理2「八つのほこり」

2012年6月22日更新

人間というものは、身の内かりもの八つのほこり、この理を分かりさいすれば、何も彼も分かる。 人間の身体は、親神様からのかりもので、心だけが自分のものであります。身体をはじめ、身の周りの一切は銘々の心通りにご守護下さいます。
親神様の思召に沿わない、自分中心の心遣いを「ほこり」と仰せられます。ささいな「ほこり」の心遣いも積もり重なると、ついには十分なご守護を頂けなくなります。そこで親神様の教えをほうきとして、たえず胸の掃除に努めるとともに、人には「ほこり」を積まさぬよう心を配らねばなりません。
ほこりの心遣いを掃除する手掛かりとして、「をしい」「ほしい」「にくい」「かわい」「うらみ」「はらだち」「よく」「こうまん」という「八つのほこり」をお教え頂いています。
また、「うそ」と「ついしょう」これ嫌いと教えてくださっています。

八つのほこり

「をしい」とは、

心の働き、身の働きを惜しみ、税金など納めるべきものを出し惜しみ、世のため道のため、人のためにすべき相応の務めを欠き、借りたる物を返すのを惜しみ、嫌な事は人にさせて、自分は楽をしたいという心。すべて、天理に適わぬ出し惜しみ、骨惜しみの心遣いはほこりであります。


「ほしい」とは、

心も尽くさず、身も働かずして、金銭を欲しがり、不相応に良き物を着たがり、食べたがり、また、あるが上にも欲しがるような心。


「にくい」とは、

自分のためを思って言ってくれる人に、かえって気を悪くして反感を持ち、あるいは、自分の気に入らない、癪に触ると人を毛嫌いし、陰口を言って、そしり笑うような心。また、銘々の身勝手から夫婦、親子などの身内同士が、いがみ合うのもほこりであります。


「かわい」とは、

わが身さえ良ければ、人はどうでもよいという心。わが子を甘やかして、食べ物、着る物の好き嫌いを言わし、仕込むべき事も仕込まず、間違ったことも意見せず気ままにさせておくのは、よろしくありません。また、わが身を思って、人を悪く言うのもほこり。わが身わが子が可愛ければ、人のことも思い、人の子も可愛がらねばなりません。


「うらみ」とは、

顔をつぶされたとて人を恨み、望みを妨げられたとて人を恨み、誰がどうやったとて人を恨み、根に持ち、銘々、知恵・力の足りないことや、コのないことを思わず、人を恨むのはほこりであります、人を恨む前に、わが身を省みることが大切であります。


「はらだち」とは、

腹が立つのは気ままからであります。心が澄まぬからであります。人が悪いことを言ったとて腹を立て、自分の主張を通し、相手の言い分に耳を貸そうとしないから、腹が立つのであります。これからは腹を立てず、天の理を立てるようにするのがよろしい。短気や癇癪は、自分のコを落とすだけでなく、命を損なうことがあります。


「よく」とは、

人より多く身に付けたい、何が何でも取れるだけ取りたいという心。人の目を盗んで数量をごまかし、人の物を取り込み、あるいは、無理な儲けを図り、暴利をむさぼる。何によらず、値を出さずに我が物にするのは強欲。また色情に溺れるのは色欲であります。


「こうまん」とは、

思い上がってうぬぼれ、威張り、富や地位をかさに着て、人を見下し、踏みつけにするような心。また、目上に媚び、弱い物をいじめ、あるいは、頭の良いのを鼻にかけて、人を侮り、知ったかぶりをし、人の欠 点ばかりを探す、これはこうまんのほこりであります。


小さな埃は(稿本天理教教祖伝逸話編より)

稿本天理教教祖伝逸話編一三〇「小さな埃は」
 
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